友達って? 心の時代? が次に来る? 次に繋がる未来?
俺もきっとそうなんだろうけど、全く気付かぬ内に、忙しない現代の文明社会に疲れてしまっているのだろうか?。
今は友達を探して繋がろうというSNSの情報共有の情報化の時代。ある種、閉鎖された情報の少ない昔の縦社会から横へ広く繋がろう時代。
それは更にこれから加速するのだろうけれど。
俺は昭和に生まれたのだけれど。
現代の様な「友達、友達。」と繋がり、共に他人の本心を知りたい、時に本心を打ちあけたいと望んでいる、自己アピールを伴う孤独感?。
だけれど。本心なんて自分でも本当のところは自分自身でも分からない。互いに腹を割り、他者とのコミュニケーションで自分自身を吐き出す。そして心は少しは気持ちが楽になる、共有感。
結局、人の心は裸を嫌う❣️。だけどスポンポンになりたい時もある。人の心情。
昭和以前の時代は直接、相手と直に顔を合わせ「お前はそう言っているけれど、おまえの言葉の端々から本心が見える(感じる。)」
「 そうは言っても、お前の心は他にある。」と他人の本心なんて推し測って然るべき。今より、ずっと、おおらかな時代だった。
人は社会的な生き物なので孤独を嫌う、だけど人は結局、一人の自己とゆう、裸で生まれて、死んで行くのも自己喪失と孤独と孤高の間を駆け抜けている。
悲しのか?切ないのか?